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ドラマ『つくたべ』で肯定したい「ひとりひとりの幸せ」
異性との恋愛・結婚・家庭=幸せ
世間にはびこるステレオタイプな「幸せな女性」像。それにハマらない人は"かわいそう"、"不良品"などと思われがちなように感じます。
こうしたジェンダー・バイアスをつくる原因の一つがテレビドラマだと思います。
時に人々の価値観を形成してしまう「テレビドラマ」を通して、世間の偏見に疑問を投じたい。
そんな思いから、主要な漫画ランキングで上位を飾る『作りたい女と食べたい女』を原作にした「夜ドラ」を制作しました。
(ドラマ『作りたい女と食べたい女』制作統括 大塚安希)
"心の澱(よど)み"と向き合ってくれた原作『つくたべ』
11月29日(火)からスタートする夜ドラ『作りたい女と食べたい女』(全10話)は、料理が好きな女性「野本さん」(比嘉愛未)と食べることが好きな女性「春日さん」(西野恵未)が出会い、共に時間を過ごす中で、お互いが必要な存在になっていく女性どうしの恋愛を描いた物語です。
私が原作の漫画『作りたい女と食べたい女』(略称「つくたべ」・ゆざきさかおみ著)と出会ったのは2021年のはじめ。インターネットでの連載が始まった頃でした。
ストーリーの序盤、最初のページで、今まで蓋をしていた自分のモヤモヤの箱を開けられたような、そんな気持ちになりました。
主人公の"作りたい女"「野本さん」が会社に手作りのお弁当を持って行っただけで、同僚に「いいお母さんになる」と言われて悶々(もんもん)とするシーンです。
そのシーンを読んだとき、いろいろな今までの自分の経験がフラッシュバックされました。「昨日の料理がうまくできたから誰かに見せたいな」という軽い気持ちで同僚に写真を見せると、「こんな料理できるのに結婚できないのはもったいないね」と言われたり。一目惚(ぼ)れして買った、特に露出が多いわけでもないワンピースをウキウキ気分で着ていった初日に別の同僚から「きょう、男を誘うモードなの?」と言われたり。
「おいしそうだね」「その服かわいいね」でいいじゃないか。なんで いちいち結婚や恋愛と結びつけられてしまうのか。そう思いながらも、それを口に出したり深く考えたりすると、心が荒(すさ)んで生きづらくなってしまうから、その場を笑ってやり過ごしてきました。
漫画『つくたべ』は これまで心の中に溜(た)めてきたモヤモヤ一つ一つと向き合うきっかけをくれました。
例えば「野本さん」が実家の母親と電話している場面で、あす 人とご飯を食べることを伝えると 「どんな男の人?」と母親に聞かれ、女の人だと答えると「なんだ、ただ友達と会うだけか」とがっかりされます。
食事をする相手が異性(="恋愛対象")ではないとわかった瞬間、「なんだ」と残念がられてしまう。「野本さん」はせっかく楽しみにしていた知人との食事も、第三者によって勝手に価値を落とされてしまう感覚に陥ります。また「女の人=友達」と勝手に決めつけられ、異性愛のみを前提にされてしまうところにも、「野本さん」はとてもモヤモヤします。
漫画『つくたべ』は、多くの人が経験しているであろう日常のモヤモヤを丁寧に描いています。登場人物たちはその一つ一つを見て見ぬ振りをせずに向き合います。また、それを受けとめてくれる相手もストーリーの中にいます。
この作品を読み進みながら「ああ、こんなことあったなあ」「あのときのモヤモヤはこういう気持ちだったからか」などと自身のことを振り返り、向き合ううちに、私の心の中の澱(よど)みは次第に洗い出されていきました。
「多くの女性にとってこの作品は救いになるに違いない」。その確固たる思いが『つくたべ』ドラマ化の出発点でした。
レズビアンを扱う作品に取り組む覚悟
『つくたべ』は話が進むにつれて、主人公の「野本さん」が次第に自分の恋愛対象が女性であることに気づいていきます。
私は原作への強い共感からドラマ化をめざしたものの、正直 初めは「レズビアン」という題材を扱うことに少し抵抗がありました。「レズビアン」に抵抗があったのではなく、「同性愛をドラマとして描くこと」に簡単に踏み出してはいけないと思っていたからです。
今まで生きてきた中で、私の周りには男女それぞれの同性愛者の知人や友人もいて、ゲイのカップルやレズビアンのカップルは日常に溶け込んでいました。
でも、日本のドラマや映画では 同性愛を「非日常のもの」として描いたものが少なくありません。その現実に違和感を覚えていました。男性どうしの恋愛を描いた作品は「BL(ボーイズラブ)」として一つのブームになっています。女性どうしのレズビアンが主題の作品については そもそもあまりありません。
だからこそ「レズビアン」を描くことに覚悟を持って臨まないといけない。「ネタ」として「鑑賞物」として消費される作品でなく、同性愛者が日常的に共に生きているという事実を伝えるためにリアルに描くこと。それがこのドラマをつくるうえでの使命だと感じました。
ドラマをつくるにあたって、同性愛者についてさまざまな記事や本を読んだり、レズビアンの方々に取材させていただきました。
その中で、今の日本で同性愛者の方々が直面している困難の数々に大きな衝撃を受けました。パートナーシップ制度が施行されている地域でも、同性カップルは健康保険の扶養に入れなかったり、所得税の配偶者控除にはならなかったり、子どもを持ったとしても共同親権は持つことができず、育休を取ることも難しいのが現状です。
「異性愛前提」でつくられている社会の構造や異性愛者にとっての「当たり前」が同性愛者にとって「当たり前でない」現実を知りました。
同時に、社会の中で同性愛が「特異」とされなければならない現状に さらなる焦りを感じました。そして同性愛は「特異」なことではないということをリアルに描きたいという思いをいっそう強くしました。
"リアル"なレズビアンを伝えるために
脚本づくりにおいて みんなで大切にしていたことの一つは、主人公がレズビアンであることを自認するまでの過程を 自然に、そして丁寧に描く、ということです。
このドラマを女性どうしの恋愛だと知らずに見始めていた視聴者の方々、そして異性愛者の方々にも、30代のひとりの女性がレズビアンであるということを自認するまでの心の繊細な動きをドラマと共に感じてほしいと思ったからです。
ドラマの企画が通る前から、脚本は劇団『贅沢貧乏』主宰・演出家の山田由梨(ゆり)さんにお願いしようと心に決めていました。
山田さんが脚本を手がけた高校生向けの性教育ドラマ『17.3 about a sex』(ABEMA)では、"タブー"視されやすい性に関する表現や会話のやりとりが次々と出てきます。また、29歳の女性4人が主人公のドラマ『30までにとうるさくて』(ABEMA)では、今どこかで本当に存在していそうなリアルな生活感のあるレズビアンのカップルを登場させています。
ジェンダーやセクシュアリティ(性のあり方)に関することを隠すことなくしっかりと、かつ自然に物語にされている山田さんとであれば、細かいところでのチューニングを行い、話し合いをしながら物語をつくることができるのではないかと思いました。オファーさせていただいたところ、山田さんも原作のファンであることが判明し、即決でお話にのってくださり、私は共に作品づくりに立ち向かう仲間を見つけた気持ちでした。
実際に『つくたべ』の脚本の打合せを重ねる過程で、行き詰まったり迷ったりしたときに、山田さんがこれまでに読まれた本や、各方面の有識者の方々と対談されたときの話を聞かせてくださいました。また、蓄えられた知識がありながらも、「わからない」ところは絶対にわかったふりをしたり、曖昧にしたりしないところも山田さんのすばらしいなと思う点です。どんなに細かな点でも「そのときの当事者の気持ちがわからないとそのシーンは書けないので話を聞きに行こう」と積極的に取材を繰り返しながら、共にシーンを組み立てていくことができました。打ち合わせ1回1回がとても濃厚で、学びと達成感でいっぱいでした。
山田さんの、これまでセクシュアリティにまつわる題材と向き合い続けてこられたからこその責任感をとても心強く、頼もしく感じました。
セクシュアリティの考証には、ジェンダー・セクシュアリティ研究者でご自身もレズビアン当事者を公表している中村香住(かすみ)さんと、セクシュアリティやジェンダーについてマンガで発信するメディア『パレットーク』の編集長の合田文(ごうだ あや)さんにお願いしました。
当事者の方々との関わり合いも深いおふたりにご協力いただいたことで、本などで得る学術的な知識のみでない、リアルなレズビアンの方々の思いを取り入れながら、脚本づくりを進めることができたと感じています。
例えば、登場人物のひとりがパソコンを見ているときにレズビアン当事者にとってショックを受けるような記事を目にする場面があります。当初、脚本にはそのときの登場人物のリアクションとして「怯(ひる)んだ気持ちになる」と書いていました。ですが、考証のおふたりから「このような状況だったら、当事者は怯(ひる)むどころじゃなくてパソコンを閉じるかも」というご指摘をいただき、パソコンを閉じる動作を加えました。
もちろん感じ方は人それぞれなので、その記事にショックを受けない人もいるかもしれません。ですが、強い衝撃を感じられる方も実際にいらっしゃるというリアルな声を教えていただき、それを脚本に組み込むことができたのはとても有意義でした。
ドラマの中にはこの他にも、当事者の方が「嫌だ」と感じる可能性のある表現やシーンがあります。当事者の方々が日々の暮らしの中で直面する状況をリアルに伝えるためには必要と考えています。
「この表現・設定・シーンは本当に物語の中に必要なのか。必要ならばどうしたら ひとりでも多くの視聴者の方に制作側のメッセージを誤解なく伝えられるのか。意図していないところで傷ついてしまうことのないようにできるのか」。脚本の細かな表現や場面の設定を一つ一つ丁寧に検証することを心がけました。
生きづらさを抱えていた「野本さん」が、その生きづらさの理由(自分がセクシュアルマイノリティーであったこと)に気づき、それとどう向き合い、乗り越えていくか。気持ちの変化や気づきを丁寧に描くことが「リアル」なレズビアンを伝えることにもつながると思っています。
このドラマが、日本のどこかにいる、生きづらさを抱えた誰かにも届けば。そしてその人が自分はひとりではないということを感じてもらえたら。さらに、異性愛者の方々にとっても「自分の学校や職場にもあたりまえにいるんだ」「特異なことではなく、みんながもつ『性的指向』の一つなんだ」という価値観を持つきっかけになったら。そんな思いで脚本づくりをしました。
リアルな空気感を「映像」を通して伝えるために
クランクイン前に、キャストと撮影スタッフみんなで「セクシュアリティ講習」の場を設けました。
プロデューサーや監督だけでなく、ドラマをつくりあげるチーム全員でセクシュアリティに対する意識を共有しておくことが大切。少しでもずれがあると、なんらかの形で作品に影響してくるのではないかと考えていました。
講師は考証の合田文さんにお願いしました。普段から企業などに向けたセクシュアリティに関する講習を行っている合田さんに、ドラマ『つくたべ』オリジナルの内容を考えていただきました。
講習でははじめにSOGI(「ソジ」・性的指向と性自認)から解説していただきました。SOGIは「セクシュアルマイノリティー」のみならず、多数派も含めた全ての人に共通する考え方です。まずは、キャストやスタッフひとりひとりに自分のSOGIは何か、好きになる性は異性か同性か、自認する性は女性か男性かそれ以外か、「自分ごと」として考えてもらいました。続いて、ドラマの登場人物それぞれがSOGIでどう説明できるのかを考えました。
さらにいくつかのシーンで「このときの『野本さん』の"嫌な気持ち"は具体的にどういうものか、なぜ"嫌"と感じるのか、どんな悩みを抱えているのか」など、みんなで意見交換を重ねました。
撮影直前の忙しい時間の中での講習はキャストやスタッフにとって物理的な負担だったと思いますが、そんな中でも積極的に参加してくださったことは本当に心強かったです。
撮影において、同性カップルの方々にもご協力いただきました。ある街なかのシーンで、背景に貼る同性カップルの広告の被写体になっていただいたのです。フィクションであるドラマであれ、少しでも日常との境界線を薄くすることができたらという試みでした。
10秒足らずのシーンではありますが、こうした小さなこだわりが画面を通して、物語を少しでもリアルに感じる要素になればと思います。
撮影に快くご協力いただいた同性カップルの方々に、心から感謝申し上げます。
「ひとりひとりの幸せ」を肯定するドラマをめざして
テレビドラマには、良くも悪くも いろいろな価値観を誰かに提供してしまう力があります。一方で、ドラマだからこそ、いろいろな人の生き方を肯定することはできると信じています。
ドラマ『つくたべ』を通して、セクシュアルマイノリティーの方々の生き方を少しでも肯定できたらと強く思い、「前向きな」物語にしようということを演出陣と繰り返し確認しあいながら制作を進めました。
セクシュアルマイノリティーだからこそ感じざるを得ない、つらさや悲しみはあるかもしれないけれど、この物語の中の登場人物は、幸せに日々を生きている。
幸せは、世間が決めることではなく、自分が決めることです。誰かの幸せを否定することは人間にもテレビドラマにも許されたことではありません。
人それぞれの幸せを認め合う、認め合えるようになるために、これからも映像をつくり、発信していきたいと思います。
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