2018年12月15日土曜日

吟ずる者たち http://ginzuru.com/











永峰明日香(34歳)は、東京で大学時代から恋人と共にハンドメイド品を売る会社を作り上げてきた。しかし、社長である恋人・
本田和佐(35歳)と経営方針のズレが年々大きくなり、激しい衝突を繰り返した末、半ば追われるように会社を辞め、何もかも無くして故郷・広島県安芸津町に帰って来た。実家は明治時代から続く酒蔵「永峰酒造」。軟水醸造法を生み出した吟醸酒の父・三浦仙三郎(実在人物)の杜氏、永峰卯吉(フィクション)の末裔だ。父・亮治(68歳)は数年前、長年折り合いの悪い息子の創太(36歳)に「まずい酒だ」と批判されて以来、こだわった酒造に情熱を傾けている。明日香は物心つかない内に引き取られた養女であり、思春期にその事実を知って以来、両親とギクシャクしている。
ある日、亮治が病に倒れる。明日香は亮治が「家宝」と大切にする、三浦仙三郎の手記を目にする。東京で「ものづくり」にこだわって会社を運営してきた明日香は、仙三郎の「百試千改」の歴史に強く心惹かれ、その手記を紐解く。

明治13年、政府の酒造業解禁の方針を受けて米問屋から派生して酒造りを始めた三浦仙三郎は、初めての腐造に見舞われていた。
地域の農家からは酒造用に不作米も買い取ってもらえる、と喜ばれていたが、三浦米問屋にとって腐造は大きな痛手だった。仙三郎は酒のことを杜氏にだけ任せるのではなく、自分で学びたいと考えるようになる。峠を越え、西条や瀬戸内沿岸の蔵をたずね歩き酒造の知識を吸収し、精米の幼き英才・佐竹利市との出会いなども得て、「何度も試して直す。なんぼいけんかってもそこを見つけて、直す。わしゃあ負けんど」と「百試千改」を心に誓う。

明日香はそんな仙三郎の手記に触発され、父・亮治の作る酒の世界に興味を持つ。
誓いを立てて以降の仙三郎は大いに蔵の活動に首を突っ込み、学び、継続した酒造活動のために金策に奔走する。父が逝去しても、兄弟の反発を受けても、家業が圧迫されても歩むことを止めることなく酒造業に邁進した。その影には母と妻の支えがあった。

一方、現代においても明日香は酵母や品質保持のために広島県食品工業技術センターと蔵が連携していることを知る。兄・創太は父が倒れて先のことが見えない今、たとえ仕込み中であろうとも蔵をやめるべきだと主張するが、明日香はその意見に猛反対する。
亮治の酒がいかに素晴らしいものであるか熱弁を振るい、自分が必ず経営していくと宣言し、蔵に入り始める。

明治15年、仙三郎はようやくできた酒が醸造不十分で保管中に腐造させてしまう。翌年、仙三郎は蔵元という身分を隠して酒の名所・灘に一蔵人として入り込み、修行する。
帰郷後、仙三郎は杜氏と別で一人酒造に取り組み、見事酒造を成功させる。酒造蔵を持って8年後のことであった。その姿に感銘を受けた若き蔵人・卯吉は杜氏から離れ、仙三郎に弟子入りするように仙三郎の元に残り、新たな仙三郎の杜氏チームが生まれる。
蔵としては揚々新たなスタートだったが、仙三郎の家の中は母の逝去と共に冷え冷えとした空気が漂っていた。全てのことを顧みない仙三郎と、誰も逆らわない状況を拒否し、末弟の忠造は家を出る。
仙三郎の足は止まらず、さらに研究・研鑽のために近県の酒造家や杜氏を集め、「腐造しない醸造法」「うまい酒にするには」と勉強会を開き続け、ますます家に帰らなくなる。妻・ソノは寂しさのあまり、仙三郎の兄弟から養女を貰い受ける。養女・ミヨは子の無い仙三郎の心に深く入り込み、一時は酒造との両立に悩むほど仙三郎を夢中にさせる。それまで酒樽の中の見えない「酵母」という生命をひたすら愛でた仙三郎だったが、ミヨの存在はソノとの関係をも修復させる力があった。しかしミヨは肺炎をこじらせ、幼いままに
あっけなく他界する。仙三郎は自分の手元から次々失われる生命に慟哭する。

そんな仙三郎親子に自身の親子関係を重ね、涙する明日香。明日香もまた、血の繋がりに関係なく愛されて育てられてきたのだと確認する。意識は戻らないものの、目を開け、生体反応を示した亮治に、「一人前になったら自分に蔵をください」と語りかける明日香。そんな明日香に母・由佳(66歳)は亮治の手帳を託す。そこには日々のアイデアや、明日香を心配する言葉が書き連ねられ…「追花心」という商品名が書き留められていた。「花心」は明治42年に醸造協会主催第二回清酒品評会で二位を取得した仙三郎の酒だった。
明日香は父の心を継ごうと、花心を復活させるために奔走し始める。

明治26年、仙三郎は醸造にまつわる大事な情報を得ていた。水の性質についてであった。なぜ仙三郎の住む三津(現在の安芸津)は腐造しやすいのか。気候や酒造工程だけが問題ではなかったのだ。仙三郎は水質について調査を進めると共にさらに科学的な酒造の米と水の関係を学び、ついに軟水での醸造法を閃く。そこにはミヨを通した生命観…幼く、か弱いものをどう育てていけば良いか…死なせないためにはどうしたら良いかということが深く関わっていた。仙三郎は中国地方にめずらしく降った記録的な大雪を機に試験醸造し、軟水醸造法を確立する。出来上がった吟醸酒はそれまでにない柔らかでフルーティーな味わいに仕上がっていた。

明日香はそんな仙三郎の試みを追い食品工業技術センターの研究員・立花の協力を得て、杜氏の佐々田順平(52歳)・蔵人の杉浦タモツ(27歳)と共に現在に「花心」を復活させる。しかし、その味は現在の吟醸酒には遠く及ばず、亮治の「吟ずる者」の足元にも及ばないものだった。
仙三郎はミヨを想い、「成長し続ける酒」を作った。そう考えるならば、現代の「花心」…成長した「追花心」を作るべきではないか。それこそが亮治の本当の狙いだったのではないか。明日香はそう思い至り、当時の適合米・八反草を品種改良を重ねた末の米を使い、再び醸造にトライする。明日香のひたむきな姿に創太も心を動かされ、共に「追花心」を完成させる。
亮治は半身不随になってしまったが、意識を取り戻し、明日香の主催する試飲会に参加することができる。明日香の心には、酒造に邁進し百試千改するものづくりの心こそが「吟ずる心」であり、それを持つ者たちが織りなす世界で生きて行こうと…「吟ずる者たち」に連なろう、という覚悟の炎が燃えていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ