2023年10月13日金曜日

比嘉愛未…激しい競争にもがき続け、演技を「使命」と受け取るまで : 読売新聞

比嘉愛未…激しい競争にもがき続け、演技を「使命」と受け取るまで : 読売新聞

比嘉愛未…激しい競争にもがき続け、演技を「使命」と受け取るまで

話題作への出演が続く俳優の比嘉愛未さん(37)。クールなたたずまいで存在感を放つ彼女も、追い求める理想と現実との間で悩んだ時期があり、演じる意味を模索し続けてきたという。転機となった作品を経て迎えた30代で、自分の「使命」に気がついた。

ドラマ「コード・ブルー」が人生の転機に

地元の沖縄から18歳で上京しました。

芸能界は競争が激しい世界です。オファーがないと、お仕事ができません。「私はこんなもんじゃない」と自らを奮い立たせながら、「求められる俳優にならなきゃ」と必死で、苦しかった。そんな葛藤を抱えながら、22歳の時に出会ったのが、ドラマ「コード・ブルー」でした。

ドクターヘリで現場に駆け付けるフライトナースを演じました。それからは役とともに自分も成長し、仕事への意識も変わっていきました。

シリーズを重ねていくなかで、別の撮影現場に行った時、私を見て若い女性スタッフさんが泣き出したことがありました。「コード・ブルーを見て看護師に憧れた時期がありました。新しい目標を見つけ、この業界に入ってからは、比嘉さんに会うのが夢でした」と言ってくれて。「作品を見て看護師や医師になった」と報告のお手紙をいただいたこともあります。

私たち俳優は、台本に書かれた架空の人物を体現しているので、作品はフィクションじゃないですか。でも、それを見てくださる人たちが刺激を受け、夢や目標を見定め、それぞれの人生を歩んでいく。フィクションが、ノンフィクションを生み出しているんですよね。「誰かの人生を左右するかもしれない責任は重いし、大きいんだ」と痛感しました。

コード・ブルーシリーズが完結したのは32歳の時。この作品を通し、人の生き方を変えるほどの仕事だからこそ、周りに合わせて自分を偽るのではなく、自分に誠実でありたいと思うようになりました。

急に決まった主演ドラマで新たな自分発見

次の転機は、35歳になった2021年夏、ドラマ「推しの王子様」で、急きょ代役として主演を務めたことです。

撮影まで1週間もない土壇場の状況でした。プレッシャーや不安はありましたが、「やってみたい。やってみよう」という自分の気持ちを信じ、挑戦しました。

ドラマの主演経験はあまりなかったのですが、"座長"として「キャストとスタッフみんなを一つにして引っ張るぞ!」というエネルギーが湧き上がってきたんです。大変なことも、大変と感じないぐらいでした。

「私にこんなパワーがあったんだ」と、新しい自分を発見したのも驚きでした。

視聴者の悩み・苦しみほぐす演技目指す

20代、30代ともがいてきましたし、きっとこの先も悩み続けることでしょう。でも、模索を続けてきたからこそ、今の私があります。築いてきた自分の価値観に自信と責任を持って言葉を発し、行動できる人になりたい。

そして、皆さんの悩みや苦しみが解けるきっかけとなるような作品に、これからも携わっていきたい。

それが私の使命で、俳優としてのやりがいだと思っています。

【取材後記】

肩の力抜いたしなやかさに魅了される

家族とお金の問題を描いた主演映画の公開を控え、取材のために空けてくれたのは35分間。画面越しのイメージのままの比嘉さんは、時間いっぱいまで多くを語ってくれた。

「過去にすごく悩んで苦しかったことを、今も抱え続けているなんてこと、少ないですよね。忘れていたり、もう思い出せなかったり」。確かにその通りだ。胸に染みたのは「生きることはきっと、この繰り返し。だから、『なんくるないさー(なんとかなるさ)』が、年々大事な言葉になってきています」の一言だ。

30代は公私ともに岐路が次々とやってくる。私は日々思い悩むし、自分を責めがちだ。

演じることを「使命」と言い切る一方、肩の力を抜くように「なんくるないさー」と口にする比嘉さん。しなやかな強さに魅了された。(読売新聞教育部 江原桂都)

「30代の挑戦」は、各界で活躍する女性たちにキャリアの転機とどう向き合ったかを、読売新聞の30代の女性記者たちがインタビューする企画です。

プロフィル

比嘉 愛未( ひが・まなみ

1986年、沖縄県生まれ。高校在学中からモデルとして活動し、2005年に映画デビュー。07年、NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」でヒロインを演じた。三浦翔平さんとダブル主演を務める映画「親のお金は誰のもの 法定相続人」が6日から公開。

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