旧正月のご挨拶へ🎍
本年もよろしくお願い致します🙏✨
日本の旧暦は月の満ち欠けを基準にしつつ、
太陽が元の位置に戻るまでの365日を1年とする
「太陰太陽暦」
立春を1年の始まりと考え、
月の満ち欠けによって立春に最も近い
新月の日を正月としていたようです。
沖縄では今でも旧正月でお祝いしています。
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【こまちブログ】 渋谷氷川神社参拝
こんにちは!防災小町です。
先日、東京都渋谷区東2-5-6にあります『渋谷氷川神社』に行ってきました。
一つ目の鳥居を通ると、イチョウの木が色付いています。
二つ目の鳥居のそばに、狛犬がお出迎え。
渋谷氷川神社に祀られている神様は、
素盞鳴尊
稲田姫命
大己貴尊
天照皇大神
由緒は、創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の
時、当地に素盞鳴尊を勧請しました。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がります。
境内約4,000坪の渋谷最古の神社だそうです。
渋谷氷川神社は、縁結びで有名です。
素盞鳴尊と稲田姫命は夫婦の神様です。
毎月デザインが変わる御朱印も頂けます。
また、毎月15日限定で「縁結び祈願祭」が行われ限定の御朱印やお守りが頂けます。
皆さんも近くに寄られたら参拝されてみてはいかがですか?
https://ameblo.jp/prconsultant701938830/entry-12161892610.html
日本語ユダヤ起源説⑧驚くべき沖縄とイスラエルの共通性
次にたどり着くのが八重山諸島だが、「ヤーエー(ヤハウェ)」はヘブライ語で神を意味する。そうなると八重山は「神の山」という意味だ。この「八重」という言葉は、日本語的には「八つ重なる」という意味しかないが、沖縄本島の八重岳や、那覇近郊の八重瀬町、八重島など、あちらこちまた、沖縄とイスラエルの文化・風習は驚くほど似ている。沖縄には「看過(カンカー)」と呼ばれる厄払いの風習がある。生贄(いけにえ)として牛を屠ってその血をススキの穂や、桑の葉等の植物に浸して家の門口や四隅、村の入り口等に塗るというものだ。その牛はその日、焼いて皆で食された。「(災いを)見過ごす」という意味である。この風習はイスラエルの過越(すぎこし)の祭りとよく似ている。「過越」も「見過ごす」の意味だ。過越の祭りは3千年以上も前から存在し、エジプトで奴隷にされたイスラエル民族が神によって選びだされた指導者モーセによってエジプトから脱出した出来事、つまり「出エジプト」を記念し喜び、神を礼拝する祭りである。過ぎ越祭の日の夕食には発酵していないパン、生贄を象徴する焼いた羊肉、ゆで卵、緑の野菜、苦菜(エジプトで奴隷の境遇に落ちたユダヤ人が流した涙を表す)、果汁の練り物を食す。
沖縄とユダヤに、よく似た風習が残っている 鶴田真由
沖縄は神様の島といわれています。
しかし、実際には、みなさん、具体的なことはあまり知らないのではないでしょうか。
旅好きな鶴田さんも、今回、初めて知ることが多いようです。
さて、神様とどんなめぐり合いをするのでしょうか?
***↓↓ためしよみをどうぞ!↓↓***
本書の中から、途中途中を抜き出ししています。詳しくはぜひ、本書をお読みください!
沖縄にあるユダヤの痕跡
沖縄にはユダヤの風習と類似したものが沢山ありました。今まで私はこんなことを、全然知りませんでした。
いくつか挙げると、まずは過越(すぎこし)の祭り。「旧約聖書」の出エジプトのお話の中に、エジプト中の長男が急病で死ぬという災いがあります。その時、神はイスラエル人だけに子羊を屠(ほふ)り(=殺し)、その血を家の入り口の柱と鴨居に塗ることを命じました。そうすればその家には災いは起きないというのです。真夜中、エジプト中の家の長男は突然死しました。しかし、約束通り、イスラエル人の家は「過越して」いったのです。そして、この出来事は今でも「過越の祭り」として存在しています。
このお祭りととてもよく似た風習が沖縄にもありました。それは「島クサラシ」「島カンカー」「看過牛(かんかうし)」と呼ばれるもので、やはり屠った牛の血を家や町の入り口の柱や鴨居に塗ると、災厄が入り込まないというものです。時期も、古代イスラエル人が子羊の血を塗ったニサンの月。これはユダヤ暦の正月と同じ、2月上旬。旧暦でいう正月なのです。
他にもユダヤ教の風習と同じように「豚は汚れた動物」とし、神職であるユタやノロは食べなかったとか、「男は女にかかると愚かになるよね」という「イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン(男は肋骨が1本足りない)」という、まるでアダムの肋骨からイブが出来たというお話を真似たような方言があるとか……想像以上に色々とあると聞いて、びっくり。
ならば、沖縄にも行かなければ! と思い、以前お世話になった神女の方に連絡をしました。
すると
「今回は沖縄本島の星と関係の深いところを巡りましょう」
ということになったのです。
沖縄星めぐり
1泊2日の強行スケジュール。海にも行かず、海ぶどうもゴーヤも食べずの拝みツアー。そうです! 神様にご挨拶に行く時は、そのためだけに行くのが筋なのです。今回は「星巡り」ということで、UFOおばさまと呼ばれる神女さんと、波動を調整して下さる神女さんが同行して下さいました。行く場所を指示して下さった神女さんは、恋人が経営するマンゴー園の収穫時期でお忙しいので今回はお会いできず。代わりに、パワーアップのためのラブラブ・マンゴーを差し入れて下さいました。
神女のおばさま方はいつお会いしても元気いっぱいで、岩場だって、山だって、ひょいひょいと上がっていってしまいます。そして、いつだって私は彼女たちの身軽さにあっぱれ! と思うのです。
まずは隕石が落ちた「星窪(ほしくぶ)嶽」という場所に行きました。ネットで調べてみても、何も出てきません。民家の中にある場所です。一体どうやってこの場所を知ったのかと神女さんに尋ねてみると、近くを通った時にとても強いエネルギーを発していたのでわかったとのこと。
ここを守っているのはトヨ子さんとそのご長男さん。誰にも知らせていないのに、世界中からここに呼ばれた人たちが訪ねて来るそうです。私たちが訪れた時もとても慣れた様子で心良くお宅にあげて下さり、お茶を出して下さり、お参りさせて下さいました。ここに来る人たちはこの場所を夢で見たり、地名がビジョンで見えたりして、やってくるようです。
しかし、いつ来ても沖縄は不思議なところです。ご縁があってたまたま住むことになった場所が聖地だった時、沖縄の人はそれを使命だと思い、場所を起こし、神様を祀り、訪れる人たちを心良くお招きするのですから。場所の起こし方や祀り方なども、夢の中で指示があったりするようです。面倒臭いからいいや、なんてわけにもいかず、宿命として受け入れる以外に選択肢はないようです。それが今でも当たり前に文化風習としてあり、周りの人たちもそれを受け入れているのですから、都会から来た私などは驚きの連続です。
お庭に出てみると「天」と「地」に場所は分かれていました。
階段下にあるのが「地」と呼ばれる場所。そこには八角形の石の上に六角形の石が積まれ祀られていました。それも神様からの指示により、そのように祀り、配置したとのことです。私はそれを目にした時、「まさに日本とユダヤだ!」と勝手に心の中で興奮していました。八角形は日本の御神器の一つである八咫の鏡。六角形はダビデの星です。その近くには十二支が円になって祀られていました。私は戌(いぬ)なので、そこでお参りをさせて頂きました。
そして、階段を上ると「天」と呼ばれる場所。「天」に入るには二つほど関門があります。二つの場所で祈ってから中に入るように出来ているのです。私は家の方から許可を頂き、一番奥へと入りました。そこには球体の石が祀られていました。関門を通過するごとに磁力が上がっていくような感じがします。伊勢神宮の御遷宮の「お白石持(しらいしもち)」という行事の時のことを思い出しました。新宮へ白い石をお運びした時も、垣根を越えるごとに御神気の密度が上がっていくのを感じました。沖縄にはそこかしこにこういう場所があるから驚かされます。
そこで拝ませて頂くと、ご長男さんが、
「ばあちゃんは神様の声を聞ける人なので、お話をして帰るといい」
と言って下さいました。そこで、もう一度、ばあちゃんことトヨ子さんにお会いすることになり、一緒に神棚の前でお祈りをさせて頂くと
「イスラエルはご主人と一緒に行きなさい。きっと良い旅になるでしょう」
とのお言葉を頂きました。沖縄に着いて早々、濃すぎる体験で、嬉しくてクラクラしてきます。
そして「クモコウタキ」という拝所、「ウチューガー」という井戸、社の中に宇宙人のような顔をした仮面が祀られている「ビジュル」という場所、「天軸の神・宇宙中軸の神・地軸の神」が祀られている津嘉山の森、など宇宙にまつわる場所を回りました。確かにその名は皆、宇宙的サウンドを持っています。しかし、それぞれの場所のいわれについて聞いてみても、「あなたが回ると良い星・宇宙・宇宙人にまつわる場所よ」という以外の返答は頂けず1日目を終えました。どうやら「ダビデの星」と「宇宙」をかけているようです。
***
沖縄でこのあと何が起きるのでしょうか? それはぜひ、本書でお楽しみください。
みっちょんのブログ イスラエルの種なしパン=マツァ
ユダヤ暦の1月15日は、イスラエルでは「種なしパンの祭り」で、その日から7日間続いた。また、この祭りは、新年を祝う祭りでもある。その祭りでは、人々は「種なしパン」を食べた。聖書には、次のように記されている。
「第一の月の14日の夕暮れが主の過越しである。同じ月の15日は主の除酵祭である。あなたたちは7日の間、酵母を入れないパンを食べる。」
(レビ23:5-6)
「酵母を入れないパン」が「種なしパン」のことである。つまりパンを膨らませる「パン種」(酵母)を入れず、発酵させずに、こねて焼いたパンである。この「種なしパン」はヘブル語で「マツァ」といい、これこそモチのルーツであると思われる。実際に、材料を小麦粉ではなくモチ米で作れば、それはモチになる。
「マツァ」と「モチ」、発音も、作り方も、味も、そして祝い事の料理という目的も非常によく似ているのである。また、ひと昔前までは、沖縄で作られていたモチは、小麦粉を使っていたようなので、殆どイスラエルの「種なしパン」と同じものであっただろう。またイスラエルでは「マツァ」と一緒に、苦菜を添えて食べた。沖縄でも、モチと一緒に、ヨモギなどと一緒に食べる。
また新年の前に、大掃除をするという習慣も同じである。聖書でパン種は、どんどん膨らむ性質があることから、罪、特に高慢や偽善の象徴とされていた。それで、この大掃除は、ただの掃除ではなく、内面の罪を取り除くためのものであることがわかる。「種なしパンの祭り」、つまりマツァを食べて、祝うことは、心の大掃除をして、新年を迎えることを意味していたのである。
ちなみに苦菜は、「同じ過ち(罪)を繰り返さない決意として、過去の苦い経験を決して忘れない」という意味がある。前述の「女と蛇にまつわる伝説」にも、ヨモギ餅を食べることが、身を清めることにつながるが、なぜそうなるのかは説明されていない。不思議なことに、聖書からひもといていくと、その意味や理由が、はっきりと分かって来るのである。
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