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20131004週刊朝日
遅ればせながら、23日付の日本教育新聞にてダコタ特集記事が一 面にて掲載、24日発売の週刊朝日にて”映画「飛べ!ダコタ」、 島民の手で再び大空へ!”という特集記事が掲載されました!
ダコタ 佐藤忠男評 新潟日報 20130803
10月5日(土)監督・出演者による初日舞台挨拶決定!
返信削除10月5日(土)からの全国公開を記念して、以下4劇場にて監督・出演者による舞台挨拶を行う事が決定しました!
◇新宿シネマスクエアとうきゅう
◇有楽町スバル座
◇TOHOシネマズ川崎
◇TOHOシネマズららぽーと横浜
詳細は近日中に発表予定!
昔スパイクリーの撮った『マルコムX』を『マルコムX』とは何の関係もないと言った蓮実系の批評家がいたが
返信削除『飛べ! ダコタ』は67年前の実際の事件と関係ないとは言えない
土地の記憶があり、油谷監督が受けた歓迎は67年前と同じものだからだ
運動は外部と内部に運動の起点があり、個人の限界を超える
比嘉愛未は辺境の共感を呼ぶ
自然に対する官能は稀有だ
歓待の演技は『まあだだよ』の香川京子を連想させる
冒頭は『七人の侍』を、最後は影武者を連想させる
監督は黒澤明の影響もあるが、今村及び勝新太郎の系譜だ
(比嘉愛未の撮りたいという映画は勝新太郎の言ったそれと似ている)
たった一度のフライトは『風立ちぬ』より印象に残る
主題はアルドリッチ作品より『戦艦ポチョムキン』に近い
音楽が多すぎる気もするが宇崎竜童のそれは魂の込もったものだ
「今でも戦争しているつもりなの?」
比嘉愛未演じる千代子のセリフは東アジアの首脳に聞かせたいセリフだ
繰り返し見て感動したセリフは子どもの叫ぶ「飛べダコタ飛べ」だ
余談だが、先日、佐渡の上映会で主人公のモデル千代子とその娘さんに会ってびっくりした
もう一度言う
映画という運動は外部と内部に運動の起点があり、個人の限界を超える
そうした映画の原点に戻ることを教えてくれる映画だ
返信削除http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1380577175/-100
【新潟】終戦翌年、不時着英軍機救った佐渡の実話が映画化 「宮崎アニメ」抜く人気
1 :西独逸φ ★:2013/10/01(火) 06:39:35.28 ID:???
終戦翌年に新潟県の佐渡島に英軍機が不時着し、住民が再飛行を手助けした実話が映画化され、
先行上映中の同県では、宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」を抜く観客動員を記録した映画館もあるという。
地元を舞台にした作品に加え、5カ月前までは敵だった相手に手をさしのべた人間愛が共感を
呼んでいるようで、10月からはいよいよ全国で上映される。
■風立ちぬ上回る
映画は「飛べ!ダコタ」(油谷誠至=あぶらたにせいじ=監督)。ダコタとは英空軍機「ダグラスDC-3」の
愛称で、同機整備士の息子が現地を訪問したのをきっかけに映画化が企画された。
昭和21年1月14日、佐渡島北西部の高千(たかち)村(現佐渡市)の海岸に、中国・上海から東京に
向かう途中、悪天候で要人を乗せたダコタが不時着。映画では、英軍人8人と村人との40日間に及ぶ
交流が描かれ、村民が言葉や文化の壁を乗り越えて彼らを救おうとする姿を追っている。村長役に柄本明さん、
その娘役を比嘉愛未(ひがまなみ)さんが演じている。
ある新潟市の映画館では「風立ちぬ」を上回る動員を記録した日もあったといい、宣伝担当者は「佐渡の人も
知らなかった心温まる実話が興味をひいたのでは」と話す。
映画の脚本の助言をした元新聞記者、清水薫さん(83)が出版した「実録 ダコタ物語り」によると、実際には
英総領事ら11人が搭乗していたという。
不時着現場から70メートル先に住む佐渡市の田中ミチさん(88)は当時20歳で、低空で旋回するダコタを
目撃した。「大きな音がしたので家から出ると、砂煙が立ちこめていた」と話す田中さんは、破損した翼を特殊針で
上手に縫えない軍人に手をさしのべた。
「英語が分からず、身ぶり手ぶりでやったけど、手を合わせて『サンキュー』と言ってくれた」と懐かしむ。
■彼らは紳士的
村人たちは機体の引き上げから修理、海岸に長さ500メートル、幅50メートルの滑走路も作った。清水さんは
「滑走路用の石運びをした3千人のうち600人は子供たち。わら草履を履き、寒さで鼻水を垂らしながら指先に
息を吹きかけて運んだ」と振り返る。
当時、警防団員だった山本一麿さん(90)も「鬼畜米英と憎んでいたが、彼らは紳士的で敵味方の気持ちには
ならなかった」と話し、映画の完成を喜んだ。
映画は10月5日から全国ロードショー公開される。
ソース
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/life/news/131001/trd13100100430001-n1.htm
67年前の“戦後秘話”に込められた日英の「絆」 | nippon.com
返信削除http://www.nippon.com/ja/features/c01105/
残念ながら比嘉さんがメインの記事ではない。
戦争を始めたのは我々だという村長のセリフは、中野重治が絶賛した伊丹万作の戦争責任論を想起させる。
返信削除伊丹万作 戦争責任者の問題
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
戦争を始めたのは我々ひとりひとりだという村長のセリフは、中野重治が絶賛した伊丹万作の
返信削除戦争責任論を想起させる。
伊丹万作 戦争責任者の問題
(窓)http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそを
つかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつた
ことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
…
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気で
いる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を
感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだ
ろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
女優 / 比嘉愛未 Part23 [削除]
返信削除http://www.shogakukan.co.jp/var/files/storage/images/node_43/node_61/node_122/node_128/node_132/node_185/node_538834/7331487-2-jpn-JP/_1.jpg
[24]:sage:13/10/06 22:41
芸スポ速報+ / 【映画】比嘉愛未、デビュー7年目で映画初主演「本当に幸せ」/映画「飛べ!ダコタ」初日舞台あいさつ [削除]
アルドリッチのは男の映画で
これは女性の映画
その意味で応答になっていると言えなくもない
2004-07vita
返信削除僕と彼女の×××劇場公開日 2005年10月5日
Esquire (エスクァイア) 日本版 2006年 04月号
Clear 2012年4月
この映画は一億総懺悔なんて唱えていない
返信削除殺せと教わったから殺すことしか出来ない男たち
そうした教育という権力構造を女性の視点から無化しているのだ
新潟日報で佐藤忠男氏も賞賛していたが、日本映画の王道を行く後味のいい映画だ。
返信削除以下、断片的感想。
昔、スパイクリーの撮った『マルコムX』を実際のマルコムXとは何の関係もないと言った蓮実系の批評家がいたが、『飛べ! ダコタ』は67年前の実際の事件と関係ないとは言えない。土地の記憶があり、油谷監督が受けた歓待も67年前と同じものだ。
運動は外部と内部に運動の起点があり、個人の限界を超える。
比嘉愛未は辺境の共感を呼ぶ。自然に対する官能は稀有だ。歓待の演技は『まあだだよ』の香川京子を連想させる。
冒頭は『七人の侍』を、最後は『影武者』を連想させる。
ただし、監督自身は今村及び勝新太郎の系譜のようだ。
(比嘉愛未の撮りたいという映画は勝新太郎の言ったそれと似ている)
たった一度のフライトは『風立ちぬ』より印象に残る。
主題はアルドリッチ作品より『戦艦ポチョムキン』に近い(アルドリッチのは男の映画でこれは女性の映画。その意味で応答になっていると言えなくもない)。
音楽が多すぎる気もするが宇崎竜童のそれは魂の込もったものだ。
「今でも戦争しているつもりなの?」
比嘉愛未演じる千代子のセリフは東アジアの首脳に聞かせたいセリフだ。
もう一度言う。
映画という運動は外部と内部に運動の起点があり、個人の限界を超える。
そうした映画の原点に戻ることを教えてくれる映画だ。
なお、戦争を始めたのは我々ひとりひとりだという村長のセリフは、中野重治が絶賛した伊丹万作の下記の戦争責任論を想起させる。
~伊丹万作 戦争責任者の問題~
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
<そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそを つかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつた ことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、 彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
…
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気で いる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を 感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだ ろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。>
ただし、この映画は一億総懺悔を唱えているわけではない 。
殺せと教わったから殺すことしか出来ない男たち 、そうした教育という権力構造を女性の視点から無化しているのだ。