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うっっっこのウインクにやられた🤦🏻♀️ #比嘉愛未 #インスタ pic.twitter.com/VCarGfRyPq |
こ と (@higakotoo) | |
@Mememmannammi これ消されたよね?😭 |
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@higakotoo 消えてた🤦🏻♀️🤦🏻♀️ 見れたのすんごい奇跡だった😂 |
こ と (@higakotoo) | |
@Mememmannammi うちも見れたの奇跡だった笑笑 |
比嘉愛未 | NHK人物録 | NHKアーカイブス
オーディションを受けたのがハタチでオンエアが始まったのが21歳のときでした。芝居のオーディションは沖縄にいたときに一度だけ受けさせていただきましたが、モデルをしていたので、上京してからお芝居のオーディションを受けることは初めてでした。上京する際に親から、女優として芽が出るまでに一年だけ猶予をもらえたので、「これが決まらなかったら帰らなきゃ」と願いを込めて受けたんです。でもすごく力んで受けたわけではなく、むしろ東京でこんな大きなオーディションの機会をいただけたことが嬉しかった。お芝居もほぼ未経験で、なにも知らないからこそ、突進することができたのだと思います。あとから『どんど晴れ』のプロデューサーの方にお聞きしたのは、私があまりにも沖縄なまり全開であっけらかんとしていて新鮮だったということでした。それが傍から見ると夏美にリンクするところがあったそうです。なにも知らない女の子が女性として一人前に成長していくことを見守るのが“朝ドラ”のルーツだともおっしゃっていただきました。本作で知り合った監督さんやスタッフの方々は今も仲良くさせていただいていて、私をこの世界に導いてくださった恩人だと思っています。
当時は役作りなんて考えられないくらい、その場に立ってセリフを言うことだけで精一杯でした。でも一番大変だったことは体調管理です。私が倒れたらすべてがストップするという責任感、重圧感がありました。食堂で食べるだけでは栄養が偏ってしまうので、自分で野菜スープを大量に作って持参していました。当時は“朝ドラ”のヒロインには楽屋がなかったので、私は皆さんが見えるカウンターの角を陣取って、スープを入れたポットを置いて、台本を5冊くらい広げて毎朝「おはよう」と、前を通る皆さんにあいさつをしていました。あえて共演者やスタッフの皆さんと離れないように楽屋がなかったのでしょうね。いつも誰かが気にかけてくれる距離感でもあり、スタジオの前室からは少し離れているので、ひとりにもなれる絶妙な場所で、皆さんが見守ってくれていることをいつも感じていました。
岩手ロケはたくさん思い出があるのですが、一本桜のある小岩井農場の景色は本当に一枚の絵のようで、嘘みたいに綺麗でした。物語の終盤、岩手で行われる“さんさ祭り”という大きなお祭りに加賀美屋の皆さんと参加するシーンがあるのですが、この撮影が一番印象に残っています。さんさ祭りは岩手の皆さんが大通りでさんさ踊りを踊るんです。そのときに地元の皆さんにはなにも言わずに加賀美屋のみんなでギリギリまで隠れていて、「今だ!」と言って途中から加わって撮影をしたんです。一発本番だったので、事前に踊りを練習して臨みましたが、皆さんがどう反応してくださるのか心配でした。でも地元の皆さん全員が盛り上がって迎えてくださって、岩手の方たちと一体になれた感じがしました。物語も後半でしたし、加賀美屋もひとつになって絆が深くなり、それをまた岩手の皆さんが包んでくださって、なんともいえない高揚感がありました。岩手が舞台で本当に良かった。撮影後にはうるま市・盛岡市友好大使としてご縁をいただけたのでとても幸せです。今も岩手に行くたびに「ただいま」と言いたくなる場所です。
加賀美屋の大女将役の草笛光子さんとは親しくさせていただいて、二年前の初舞台も観に来てくださいました。お食事にも連れていってくださって、女優として大事なことを教わっています。草笛さんは周りには見せないですが努力家ですし、常に探究心があって前を向かれている方なので、本当にその生き方にあこがれています。私も草笛さんのような女優さんになりたい。長門裕之さんも大好きなので、亡くなられたときはショックでした。岩手では長門さんが行かれていた焼肉屋さんによく連れていっていただきました。長門さんが亡くなられてからそのお店に行ったときに大将が「長門さんが比嘉さんのことを褒めていてね。“あいつは大丈夫だ”と言っていたよ」とお聞きしたんです。私の前ではそんなことを言わない方だったので、よけいに気持ちが込み上げてきて泣いてしまいました。そういう素敵な先輩たちと出会えたこともあり、本当に『どんど晴れ』は私の宝物のような作品です。
今考えても夏美は私だったと思います。頭で考えるのではなく、感じたままに心のままに動いてしまう。そんなところがすごく似ているなと。夏美役でなかったら私は選ばれていなかったでしょうし、夏美はほかの人に演じてほしくないほど思い入れが強いんです。運命の引き寄せなのか、夏美がいたからこそ私の役者人生がスタートしたと思っています。今も心が折れそうになったときやパワーがほしいときは『どんど晴れ』を見返して「ここから頑張ってきたんだ。私はもっとやれる!」と思うようにしています。『どんど晴れ』はこの先一生、くじけそうになったときに必ず立ち返る作品ですし、私の原点だと思っています。
上杉景勝に仕えた上杉家の家老・直江兼続。“愛”の兜で知られる兼続の生涯を描いた作品。比嘉さんは、北村一輝さん演じる上杉景勝の正室・菊姫を演じた。
大河ドラマは格式がありますし、出演されている方が皆さん主役クラスで、とても緊張しました。菊姫については実在された方なので、しっかり調べて、本人に失礼がないように芯を持って演じないといけないと思いました。お墓にも行かせていただき、勉強もして、準備をしっかりしてから挑みました。それでも撮影に入ると独特の緊張感に押しつぶされそうで毎回、手が震えていました。菊姫は殿の正室なので、妻夫木聡さんや常盤貴子さん、周りの皆さんが「ははーっ」とひれふすような役なんです。ひれふされるたびに「ウソでしょ?」と思って恐れ多かったですね。でも皆さんすごく優しくて、不慣れな私をケアしてくださいました。心強かったのは『どんど晴れ』のカメラマンさんや照明さん、プロデューサーさん、脚本家の方も同じで、まさに“朝ドラチーム”だったんです。そんな気心知れた方たちがいらしたからこそ、大河ドラマという作品にも思い切って踏み込めたのだと思います。