昭和21年1月、佐渡島高千村の海岸に不時着した英国軍輸送機・ダコタ。つい5ヶ月前まで敵だったイギリスの人たちを、佐渡の人たちは様々な思いを抱えながら誠心誠意もてなした。そして、砂に埋もれた機体の引き揚げを手伝い、海岸に滑走路を作り上げ、40日後、ダコタは再び大空に飛び立った・・
この67年前の実話を元に描いた『飛べ!ダコタ』。9月7日からの新潟県内先行ロードショーに続き、10月5日より東京他全国ロードショーの始まるのを機に、本作で映画初主演を果たした比嘉愛未さんにお話を伺う機会をいただきました。
比嘉愛未さん 経歴
1986年沖縄県出身。05年映画『ニライカナイからの手紙』で女優デビュー。07年NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」にて、ヒロインに抜擢される。その後も、ドラマ「コードブルー~ドクターヘリ緊急救命~」(08~)「マルモのおきて」(11)「ハンチョウ〜警視庁安積班~」シリーズ(12~)、映画『猿ロックTHE MOVIE』(10)『僕等がいた』(12)など多数出演。本作『飛べ!ダコタ』が初主演映画となる。
◎インタビュー
― 初主演映画、いよいよ東京はじめ全国での公開おめでとうございます。映画を拝見して、戦後間もない頃にこんな心温まる出来事があったことを知って、とても感銘を受けました。40年ほど前に一度だけ佐渡に行ったことがあるのですが、その時にロケ地にも近い尖閣湾で観た夕陽がほんとに素晴らしくて、私の人生の中で最高の夕陽です。映画にもダコタの背景に素晴らしい夕陽が写っていましたが、美しい夕陽をご覧になることはできましたか?
比嘉:撮影は真冬でしたので、曇り空しか見れませんでした。過酷な撮影現場で、夕陽を眺めるチャンスも自分の心の余裕もなかったです。ぜひ見たかったですね。
― 佐渡での上映会にいらした時には?
比嘉: 新潟や佐渡に行くと毎回曇り空で、晴れ渡った青い海や青い空を見てないんです。私自身、沖縄出身で海には親しみを持っていたのですが、太平洋と日本海では違う海だなぁと思いました。佐渡の冬は過酷で、だからこそ、素晴らしい映像が撮れたのではと思っています。戦後の厳しさは、晴れ渡る海と青い空という環境ではちょっと伝わりにくかったのではと思います。
― 比嘉さんが演じた千代子のモデルになった梶井千世子さんがご存命で、いろいろお話を聞かれたことと思います。
比嘉:何回もお会いしました。笑顔を絶やさず、やわらかい空気で人を包んでくださる方。お話していると自分の考えをしっかり持っていて芯の強い方だと感じました。千代子を演じるときに、すべてが事実ではないけれど、梶井さんの持っていらっしゃる空気感は役を演じる上で揺るがずに持っていたいなと思いました。
― お話を伺った中で印象的だったことは?
比嘉:英国人と会ったとき、怖くなかったですか?とまずお聞きしました。半年前まで戦っていた相手、今でこそいろんな国の方と交流できるようになりましたけれど、これは67年前のこと。高い鼻で身長も高くて人種も違う人が目の前に現れて、お世話すると言われた時に怖かったのではと。でも、梶井さんは、笑って、「全然! 皆さん優しくて、皆さんの反応を見るのが楽しくてしょうがなかった」とおっしゃって、すごくポジティブなんです。だからこそ、突然やってきた人たちを受け入れられたのかなぁと思いました。梶井さんだけじゃなくて、佐渡の人は皆さんがおもてなしや思いやりの心、恐怖心じゃなくて相手を第一に考えられる心を持っていらっしゃる。そうじゃないと受け入れられないと思いました。 役を通して疑似体験して、あ~日本人、格好いいなって。今の自分を見つめ直すきっかけにもなりました。今の世の中、便利になりすぎて、人との距離間を取るのがすごく難しいと思います。親切に手を差し伸べてもいやがられることもあるし、傷つきたくないから敢えて壁を作って生活していることも多いと思います。それじゃいけないなと。どういう出会いにしろ、こんなに大勢いる中で出会うことはそれだけで奇跡。人種、年齢、性別に関係なく、出会いを宝にするか無駄にするかは、自分の心次第なのかなということを学びました。
― 私は旅が好きで、昔は電車も対面式の席で自然とすぐ話をしたりしたのですけど、今は、特急など皆、同じ方を向いていて、隣の人とも話さない、壁をつくるようなところがあると思います。
比嘉:それをみんな良しとしていますよね。
― 思いやりの心をこの映画を通じて思い出させてくれるのはいいことだなと思いました。でも、この映画は戦争が終わって間もない頃の話。つい数ヶ月前まで敵国だったイギリスの人たちを助けるには心の葛藤のあった人たちもいたことも包み隠さず描いていて、戦争の時代を知らない人たちに是非見てもらいたいと思いました。
比嘉さんは、沖縄ご出身ですので、身近な方から地上戦の経験をお聞きになっているのではないでしょうか?
比嘉:私の親族は皆長生きで、ひいおじいちゃんも100歳で元気にしているのですが、もちろん経験していて、小さい頃から聞かされていました。でも親族からだけじゃなくて、沖縄では小学校の低学年から、終戦記念日に広場で当時の戦争の悲惨さを見せる、例えば同じ年頃の子どもたちが亡くなっている写真なども張り出されていて、それを見て先生たちから沖縄ではこんなことがあったということを教えられていたので、戦争に対しては昔あったことという感じではないんです。経験はしていないけれど、凄かったんだなということを学んでいました。経験した方がいなくなってくると薄れていくからこそ、こういう映画でしっかり事実を残していく必要があるのではないかと思います。同じことを繰り返さないように伝えることも使命だと思います。
― 油谷監督が脚本を丁寧に書き込んでいらして、身近に戦争に行って帰ってこなかった人がいることから素直に手助けできない人もいるということを描いていましたね。
比嘉:この映画は、綺麗過ぎる話でもない、しっかり登場人物それぞれが抱えている傷も描いていて、男女年齢問わず誰にでも共感できるものだと思います。
― 佐渡の人でも、地元以外の人は意外と知らない事実だと聞いて驚きました。撮影には当時の衣装を佐渡の方たちから提供していただいたとのことですが、千世子さんご自身からお借りした着物や小物もあったのでしょうか?
比嘉:私たちのものは衣装担当の方が用意してくださったので、ご本人からお借りしたものはないですね。何百人分のエキストラの方のものまで用意できないので、当時の服装で来て下さいとお願いしたんです。当時の様子を忠実に再現できるようにしようと皆で努力したのですが、私も手にあかぎれ、顔にも汚しをつけたりしました。ほとんどすっぴんで、毎朝準備が楽でしたよ。普通のメイクだと1時間必要なのですけど、今回は髪の毛だけ気を付けて、15分くらいで準備できました。
― 冬の撮影はほんとに寒そうでしたね。
比嘉:ほんとに寒かったですね。過去最高の厳しさだったし、これからもこんなに過酷な撮影ってあるのかなと思うくらい、自然を相手にするのは大変だなと感じましたね。
― 外国人の出演者の方たちとは、どんな風に過ごされていたのですか?
比嘉:皆さん、ホテルの自分の部屋に篭らないで、ロビーによくいらしてました。撮影の合間も皆で集まって、私も英語はしゃべれないのですけど片言で何とかコミュニケーションをとろうと頑張ったのも面白かったです。 長時間一緒にいるからこそできたことだと思います。言葉はわからないけれど、子どもたちも一緒にトランプしたりして交流できたことが楽しかったです。
― 撮影時の思い出はほかにもたくさんあると思いますが、これはということがありましたら!
比嘉: 朱鷺のつがいを偶然近くで観れました! 感動しましたね。日本を象徴する鳥ですし、いい御利益がありそうです。 でも、ロケの間は観光する時間もなくて・・・
― 金山も行ってない?
比嘉:行ってないですね~ 行ってる方もいましたが。
― 佐渡は食べ物も美味しかったのでは?
比嘉:大変でした。食べ過ぎて(笑)。 太って帰ってきました。米どころで、海産物も美味しくて・・・ 毎晩のように、監督やスタッフさんも一緒に食べに行ってました。オール佐渡ロケだからこそできたことで、一緒にご飯を食べるということが大事だったなと思います。
― 外国人の方は映画の中ではお刺身に戸惑ったりしていましたが・・・
比嘉:日本人より日本通の方もいて、面白かったです。チーム感がすぐできた仲間でした。この間、完成披露試写会で再会して、たった半年ぶりなのに、懐かしい、久しぶり~って。
― 東京での完成披露試写会の反応はいかがでしたか?
比嘉:始まる前に挨拶したので、観た後の感想をお聞きできなかったのです。新潟では、4館回って、観たあとに挨拶することもありましたので、いろいろ伺うことができました。皆さんどんな反応されているのか緊張したのですけど、涙ぐんでいらっしゃる方もいて、ちゃんと伝わっているなぁと手ごたえを感じました。戦後の実話となると、暗いのではと思われるのですが、むしろ前向きに未来に向かっている映画なので、特に若い人に観てもらいたいと私はすごく思っています。私が感じたように、今のままじゃダメだな、こんなに格好いい先祖がいたからこそ今の日本があるんだなと思うと、自分たちも頑張って行こうと思って、未来につながっていくと思います。
―この間の東京オリンピックの招致活動で強調していたおもてなしの心と相通じるものがありますよね。 ブログに「人生の素敵な宝物が出来ました」と書かれていましたが、その言葉が素敵だなと思いました。
比嘉:人との出会いもそうなのですが、私はこういう仕事をしていて、自分が演じる役との出会い、作品との出会いも大切だなとすごく感じるようになってきています。たくさんいる中から私を選んでもらったのも奇跡。初めての主演でプレッシャーも感じていたのですが、撮影が始まったら忘れてましたね。楽しくてしょうがなくて充実感にあふれていて、そう思わせてくれたことに感謝しています。
― 油谷監督とは、これまでにもテレビのドラマでご一緒したことがあるのでしょうか?
比嘉:初めてだったんです。ありがたいことに私を選んでくださって。撮影に入る時に、監督の思い入れが強いので、どういう千代子を演じたらいいかを聞いたら、そのまま演じてくれればいいと言われて、最初は逆に不安でした。周りの方にはいろいろおっしゃっていたので、中盤になって、「どうして私には何も言ってくれないのですか?」と聞いたら、「最初から千代子は比嘉さんそのものだと思っていたから」と言われて、こんなにも役者を信じてくれる監督は凄いなと思いました。監督は一番の責任者で大変だと思うんです。すべてをまとめなくてはいけないですし。監督が未熟な私を信じてくれて任せてくださったことに励まされました。
― 現場で監督は厳しいというより、ご自身も楽しんでいらしたのでしょうか?
比嘉:そうですね。いつも笑顔で、監督だからと垣根を作らずに、現地の方とも率先してコミュニケーションを取ったり、一番この作品に愛情を注いでいた方だと思います。だから、こんなに暖かい作品ができたのですね。いまだに佐渡での上映会にも参加して、その後、みんなで打ち上げに参加したりしているらしいんです。今、佐渡でとても人気で、市長選でもあったら受かるのではというくらい人望がすごいんですよ(笑)。島の人たちに常に寄り添っていらっしゃる方。気持ちが伝わっているのでしょうね。素敵だなと思います。
― 千世子さんのお嬢さんがfacebookに書き込みされていて、映画を観て感慨深いものがおありのようですね。千世子さんご自身は完成した映画をご覧になって、どのようにおっしゃっていましたか?
比嘉:千世子さんの感想、まだゆっくりお話ししてないのですが、よかったですよとおっしゃってくださいました。 今度ゆっくり聞けるといいなと思っています。
― 千世子さんにとって、20歳の時の経験は彼女の中で大きいのでしょうね。
比嘉:大きいですね。娘さんたちは佐渡を出ていて、一人暮らしなので心配だから自分たちのところに来てと言われたそうなのですが、梶井さんはお一人で広い家で広い畑を耕しながら暮らすほうがいいと。信念を曲げない強さがあるところが好きだなぁと。すごく品のある方で、87歳ですけど、しっかり自分で歩いていらっしゃるしパワフルだし。ほんとに品の良さは無理につくろうと思っても出せないじゃないですか。素敵だなぁと思います。
― いい年の取り方をしていらっしゃるのですね。
比嘉:可愛らしさもあり、力強さもあり、生き方って出るんだなぁと。
― 比嘉さんは今回、映画に初主演されて、来年には舞台も控えていて、テレビでもご活躍されていて、これからも併行してやっていかれたいですか?
比嘉:必要とされる役者で在り続けたいと思います。話をいただいたら全力で向き合っていきたいと思います。止まってはいたくない、常に前に進んでいきたいと思います。
― ますますのご活躍を楽しみにしています。 本日はどうもありがとうございました。
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★取材を終えて
NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」の時に毎朝観ていた比嘉愛未さんにお会いできるのを楽しみにインタビューに臨みました。素敵な比嘉さんを前に緊張の30分でしたが、千代子のモデルになった梶井千世子さんのことや、過酷な佐渡での冬のロケのことなどたっぷりお伺いできて幸せなひと時でした。
最初にシネマジャーナル88号をお渡しした時に、表紙の『クロワッサンで朝食を』を観て、「ジャンヌ・モロー好きなんですよ。観にいきました!」とおっしゃった比嘉さん。きっとジャンヌ・モローのように、いつまでも素敵に輝く女優さんであり続けることと思います。